今週のお題「制服」
【転勤族の制服】見えない制服を脱いだ先にあった「自分らしさ」
はじめに
誰にでも毎日身につけている「制服」や「ユニフォーム」があります。会社のスーツ、作業着、学ランや白衣。
でも、それとは別の、目には見えない制服、それは家族としての立場、人間関係など、人はそれぞれの「役割」という名の制服をまとって日々を過ごしています。
私も長いこと、地元の「安心感」という制服に包まれていました。しかし、転勤族となり、毎回ゼロからのスタートを強いられる中で、その制服はどんどん変わっていきました。
今回は、そんな「変わっていった制服」と「心の制服を脱ぐ」といったテーマを、ちょっと肩の力を抜きながらお話ししたいと思います。皆さまもあんぱん片手にでも読んでいただければ嬉しいです。
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地元のぬくもりと安心感
地元に根ざした生活は、まるで長年馴染んだ作業着のようでした。多少の穴が空いても気にしない、洗い古したTシャツのように身体に馴染んだ安心感があります。
毎日顔を合わせる仲間、同じ話題で笑い合える環境は、まるで実家にいるかのような居心地の良さ。時にはそのぬるま湯感が安心すぎて、作業着の股部分に穴が空いても気にせずに履き続けていたかもしれません。
「あの頃はきっと、身も心もさらけ出しきっていたんだな」
そんな心の隙間さえも、愛おしく感じられる場所でした。
転勤族のゼロからのスタート
一転、転職により転勤族として新しい土地に赴くと、毎日が新しいユニフォームとの格闘になります。着ているユニフォームは前職と同じだけど、何故だが全然違った気持ちになるのです。
知らない土地、知らない人、知らないルール。毎回、リセットボタンを押されたかのように、ゼロからのスタートです。
それはまるで、毎朝違うコスプレ衣装を着せられるようなもの。サイズが合っているかもわからず、時にはファスナーが壊れていたり、間違えて縮んでいたり。
けれども、その不安定さが逆に面白く、毎日が小さな冒険の連続です。新しい景色と人に触れるたび、自分の知らなかった一面が顔を出します。
そんな日々の中で感じるのは、「同じ制服を着ていても、心の着こなしは違う」ということ。
ユニフォームを脱ぐということ
時には、思うことがあります。
「もういいや、このユニフォームなんか脱いじゃおう」と。
肩書きや役割、場所に縛られた自分を一旦解放し、素の自分に戻りたい瞬間。
そのときの自由感は、まるで子どもの頃に裸足で野山を駆け回っていた無防備な気持ちのようです。
だからこそ、ユニフォームは形じゃなくて、気持ちなんだなと実感します。
現実はそう簡単ではないけれど、心のどこかでいつも素顔を探しているのです。誰かの歌詞じゃないけど、こう叫びたくなるときがあります。
ユニフォームを脱いで 脱いで
自由 自由 自由!!
今ここにあるやりがいと未来
現在の仕事や生活を否定するわけではありません。
むしろ、今だからこそ感じられるやりがいがあります。新しい挑戦、新しい仲間、未知の風景との出会い。
地元のぬくもりと転勤族の風通しの良さは、どちらもかけがえのない宝物。
どちらが良い悪いではなく、「今は今」を大切に、毎日を一歩ずつ歩んでいく。
その思いを胸に、今日も自分のユニフォームを着て出かけます。
まとめ:変わっても変わらない、自分らしさの着こなし
制服やユニフォームは、役割や場所、責任を象徴するもの。
でも、本当に大切なのは、心が納得していること。
もし今の環境に窮屈さや違和感を感じているなら、時にはそのユニフォームを脱いでみるのも一つの手。
裸足で風を感じるように、自由な気持ちを取り戻してみてはいかがでしょうか?
きっと、変わっても変わらない「自分らしさ」に気づけるはずです。