“1個だけ”の正義とは?
給食唐揚げVSご当地餃子、同じ1個の栄養と満足の哲学
こんにちは、転勤族ランナーです。
最近SNSを賑わせた話題、ご存じですよね?福岡市の小学校給食に登場した「唐揚げ1個」給食。
お皿にポツンと置かれた唐揚げ1個。ごはん、味噌汁、牛乳という布陣の中に、いささか頼りないソロ唐揚げ。
まるで、学校給食界の“ぼっち参戦”。SNSは炎上し、ネット民たちのツッコミが冴え渡りました。
しかし私は思ったのです。「ちょっと待って。1個の可能性、見落としてないかい?」
思い出されたのは、出張先・三重県津市で出会った“津ぎょうざ”。こちらも、なんと「1個だけ」。
でも、こっちは拍手喝采。なぜ?同じ“1個”なのに、どうしてこうも反応が違うのか?
ということで今回は、「“1個だけ”の正義とは何か」について真面目にふざけて考えてみようと思います。
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目次
福岡の唐揚げ1個給食:SNS炎上の渦中へ
物価高の影響で学校給食が窮地に立たされている――そんな背景はあるにせよ、「唐揚げ1個だけ」の給食写真がネットに流れた瞬間、まるで油に火を注いだように炎上。
「エサじゃないんだから」「戦時中ですか?」などの声が飛び交い、トレンド入りする始末。
しかし、ここで問題なのは唐揚げの数ではなく、子どもたちが給食に感じるワクワクや満足感が奪われていることかもしれません。
「見た目はショボいシンプルだけど、栄養基準はクリアしています」と言われても、唐揚げ1個に詰められる夢の量は限られています。せめて、タルタルソースでゴージャスにドレスアップしてくれれば…。
現場の方々がギリギリの中で工夫を凝らしているのは重々承知。でも、「おかわりはジャンケンで!」が一番の盛り上がりというのは、ちょっと寂しい。
せめてジャンケンで勝ったら、「もう1個」じゃなくて「王冠つき唐揚げ」とか、演出で攻めてみてほしいところ。
津市の“津ぎょうざ”:同じ1個なのにこの差よ
さて、私が出張中に出会った“もう一つの1個”――それが三重県津市の「津ぎょうざ」。
こちらも「1個」ですが、サイズ感はまさに規格外。直径15cm、厚みあり、カリッと揚がった巨大な餃子です。
中身は野菜も肉もぎっしり詰まって、まさに栄養の宝石箱。いやほんと、勢いでかじったら熱すぎて口の中が修羅場でした。
この津ぎょうざ、実は1985年頃に「栄養も満足感もある給食を」との思いで考案されたもの。つまり、給食界の夢のかたまりなのです。
「一個だけど、一個じゃない」。この矛盾に満ちた存在が、津市の子どもたちの心と胃袋を掴み、ご当地グルメへと進化。
現在ではイベントでも販売され、なんとB-1グランプリでゴールドグランプリも受賞!「一個でも勝てる」餃子が、ここにある。
その姿は、もはや1個だけの料理というより「オールインワン」。なんて意識の高いB級グルメなんだろう…。
“1個だけ”の哲学:量より魂?満足とは?
ここで問題提起。「一個しかないこと」が悪なのか、「その一個に中身がないこと」が問題なのか。
たとえば、スーパーで買った苺大福が一個しかなかったとしても、中に苺が2段階に分かれて入ってたら幸せでしょう?(ちょっと例えが雑)
要するに、「見た目の数」よりも「中身の満足度」が問われているのではないかと。
津ぎょうざは、調理の効率も考えて開発された合理的な存在。でも同時に、「ビジュアル的にも子どもたちが楽しみに思える給食」として大切にしていた。
一方で福岡のケースは、コスト・基準・現場負担という大人の事情が勝ちすぎてしまった結果、「唐揚げ1個問題」が社会の鏡として浮かび上がったと言えるかもしれません。
つまりこれは「1個か5個か」の単純な話ではなく、「その1個に、何を詰めるか」という哲学の問題なのです。
ひょっとして、今この話を読んでくれているあなた自身が、「1個だけど強烈な人間」なのかもしれませんよ?
まとめ:栄養の宝石箱に未来はあるのか
“一個だけ”の給食から、津市の津ぎょうざへ。
どちらも「1個」ですが、その評価は真逆。その違いは、中身・満足・演出にあるのかもしれません。
子どもたちにとって、給食は日々の楽しみであり、学びの場でもあります。「栄養さえ足りてればOK」という発想は、なんだかちょっと寂しい。
津ぎょうざのように、大きくて、栄養たっぷりで、しかもワクワクする。そんな給食が全国に広がれば、食べる側も作る側も、きっと笑顔になれるはず。
そして私のように、大やけどして「くっそ熱っ!」と叫ぶのも、ひとつの食育体験かもしれません。
次に給食を食べるとき、「その1個」に何が詰まっているのか、ちょっと想像してみるのも悪くないですよ。
あと、津市に行ったら津ぎょうざ、是非食べてみてね!!
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